中庸

 10月末に中国に行ってまいりました。今は両国間の関係は最悪といわれていますが、実際に足を運んでみるのと聞くのとでは大違いです。日本が中国に対して目を覆い耳をふさいでいる間に、世界は中国を中心としてどんどん様変わりをしています。もちろん、中国社会にはたくさんのミスマッチが残されていますが、もろともしないスピードで発展している様は、まさに日本がかつて来た道なのでしょうね。思うところの多い訪中だったので、公務の合間に文章にまとめているところです。いずれ、ご披露できると思います。

 さて、1年もあっという間にすぎ、原稿を書いている今は12月議会の真っ只中です。私たちが平成30年の誘致を目指した大河ドラマは残念ながら「西郷どん」に決まってしまいましたが、福井の幕末もまた味わい深い教訓を今に伝えてくれていますので、そのことについて紹介します。

 さて、そもそも幕末における福井藩とは、佐幕、倒幕のどちらからも支持される「公議政体論」の「中庸」を揚げた象徴的な存在であったといえます。これは激動する幕末の政治情勢にあって、改革の必要性は十分認識をしながらも、長州藩の主張する急進的な改革は志向しないという松平春獄公の思想があったからにほかなりません。公議政体論の下に、橋本左内、由利公正、そして横井小楠といった俊英が綺羅星のごとく集まったことは必然でした。

 彼らが日々議論に議論を重ね、日本がとるべき新しい政体を模索した結果、由利公正による「議事之体大意」が誕生し、明治新政府の施政方針である「五箇条の御誓文」へと昇華しました。「広く会議を興し、万機公論に決すべし」という理念は、今なお日本の国体の基盤となるものであり、近代日本民主主義の原点が福井から生まれたことは間違いなく、大変誇れることだとは思いませんか?

 これまで明治維新は、長州藩や薩摩藩の視点で描かれることがほとんどでした。当時行われた急進的な変革や、命を賭して幕末を駆け抜けた志士たちにロマンを抱く国民が多くいることは事実です。明治維新150周年の大河ドラマとして「西郷ドン」が製作されることはその表れでしょう。

 しかし、この時期の福井藩は「中庸」をベースにした高度な政治技法を備えていたといえ、振れ幅の多い昨今の日本の政治が学ぶべきところが多くあると私は思います。そして、みなさんと一緒に、近代日本民主主義のふるさと福井の歴史を身近なところからひも解いていきたいと考えています。